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レミギウス・モリカビュチス追悼チャリティTシャツproject【Samurai Remyga-yell
】

レミーガの格闘技人生

レミーガの格闘技人生

レミギウス・モリカビュチス(Remigijus Morkevicius:愛称レミーガ)は、1982年8月10日、リトアニア共和国に生まれました。
8歳時の政治不安定(ソ連からの独立運動で1991年軍事介入を受ける)を機会に、親元を離れて祖母に預けられて、
以降は祖母と2人の生活に。いつしか祖母を守る為にも、「強くならねば」との想いから14歳でキックボクシングを開始。
その後、祖母が歩行困難となり(骨粗しょう症)、僅かなファイトマネーを闘病中の祖母の治療費に当てていました。

2002年に総合格闘家としても活動を開始し、2002年11月・20歳で日本のリング(総合格闘技ZST興行)に上がるチャンスが生まれて、
祖母の治療費の為に絶好の機会と受け止め、日本を主戦場にする事を決意。
以降、類まれな身体能力とアグレッシブな動きによってZST興行で頭角を現し、2005年1月「ZST-GP2」トーナメントで優勝。
同年の総合格闘技HERO’S興行では地上波放送に乗り、ムエタイベースの強烈なスピードと打撃でファンが全国区に増大し、
端正な顔立ちから女性ファンも急増。又、元々の専門であるキックボクシングのK-1 MAX興行においても、2006年に魔裟斗と対戦。
負けたものの、レミギウスの名は全国区に。上昇したファイトマネーの殆どを、闘病中の祖母に捧げていた事は周知の事実です。

2008年・26歳時のK-1 MAX興行を最後に日本のリングを離れ、2014年・32歳時のKOKリトアニア興行まで戦い、一時休戦。
2017年に復活の意思を固めていましたが、2016年12月21日トレーニング後の帰宅途中に銃撃を受けました、享年34歳。

特に、長く活躍したZST興行では、所英男選手を中心とする多くの日本人選手と切磋琢磨し、リング外でも交流を広げました。
その後の地上波放送での各試合でも、驚異のリトアニア選手として位置付け、日本の格闘技の功労者の一人と言えます。

【日本での総合格闘技】
 ・ZST=2002~2006年(15戦)
 ・HERO’S=2005年(2戦)
 ・Dynamite!!=2005年(1戦)
【日本でのキックボクシング】
 ・ K-1 WORLD MAX=2005~2006年(4戦)
【日本でのタイトル奪取】
 ・ZST-GP2フェザー級トーナメント優勝(2005年)

レミーガの残された家族

レミーガの残された家族

レミーガは、闘病中の祖母が亡くなる2011年まで、ファイトマネーの殆どを祖母の治療費に充てながらも、
2009年に第一子(Marcus:7歳)、2012年に第二子(Mantas:4歳)、2015年に第三子(Perkunas:1歳)を授かりました。
子煩悩で良き父だったレミーガは、ライモンダさんのお腹をさすりながら間もなく生まれる第四子を楽しみにしていましたが、
生まれる直前に亡くなった事で、2017年1月生まれの第四子(Titanas:0歳)とは会えず仕舞いに・・・・
 
ライモンダさんとは周辺環境によって結婚できず(リトアニアの経済環境も起因します)、間もなく婚約という状況でした。
子供達の養育の為にも、2017年には格闘技復帰を計画していたのにも関わらず亡くなった事で、
今後はライモンダさんの手だけで幼い息子達と生きていかねばなりません。
(2016国税庁発表・日本国平均年収¥420万(男520、女276)に対し、2014EU統計局発表・リトアニア国平均年収¥80万。
レミーガとは元々節約生活をしていた中で、小さな子供達を育てるライモンダさんは今後も仕事につけず収入が見込めず、
現在はリトアニア格闘技界とファンからの僅かな支援金で生活をしており、先が見えない不安な状況です。)
 
格闘家としての功績から「リトアニアの英雄」と呼ばれながらも、決して裕福な生活環境とは言えず社会保障もありません。
これは日本国の格闘家にも同じ事が言えますが、命を懸けて闘う職業ながら、懸命に掴んだ功労への社会保障は皆無。
レミーガの場合、遠いリトアニアから訪日して日本の格闘技界に功労したものの、
母国からも日本国からも家族支援がない無情に居たたまれません。レミーガ本人もさぞ無念な事でしょう。
 
このような状況下、ライモンダさんから相談を受けた日本の有志が追悼委員会を形成し、
日本の格闘技界の功労者レミーガに向けた、日本の格闘家とファンからの追悼・支援金を集める本projectを開始致します。
追悼Tシャツを販売し、売上の一部を子供達の養育費に・・・これは少しでも家族を助けたい想いを結集するものです。
これは、功労者レミーガの為であり、子供達の為である事は勿論、格闘家の社会保障への問題提起とも言えます。
是非、ライモンダさんと子供達の支援を宜しく御願い致します。本projectによって、天国のレミーガを称えられれば幸いです。

■Raimonda Orvydaiteから、日本の皆様へメッセージ(2017年3月1日)

■追悼チャリティTシャツ


projectについて

レミーガ追悼文

※レミーガ追悼委員会(Japan)は、残された家族の意向を受けて集まった日本における有志であり、
 レミギウスの父とも言えるリトアニアの所属ジム代表・Marius Titanasの助言の元に支援体制を作りました。
 レミーガ追悼委員会(Japan)は、御遺族のTシャツ販売代行を行います。

【実施概要】

追悼チャリティTシャツ販売価格は、Tシャツ特別価格と追悼・支援金で構成されます。
レミーガの「reversal」ブランドへの想いを汲み取った㈱イサミ(reversalブランド制作販売)・磯社長の御好意により、
追悼Tシャツは今回限りの特別価格で制作して頂きました。

・販売者=Raimonda Orvydaite
・販売代行=レミーガ追悼委員会(Japan)
・物品制作=reversal(株式会社イサミ)
・販売決済=一般社団法人アスリートエール
・決済管理=染原公認会計士事務所
・販売価格=Tシャツ¥5,000(税込)、タオル¥3,000(税込)
・送料=全国一律¥648(離島は別途)
・支払法=クレジットカード(VISA、Master)、コンビニ払い
・追悼・支援金=販売価格の内、Tシャツ1枚につき¥2,700、タオル1枚につき¥1,100

・送金先=AB SEB Bank(リトアニア)/Raimonda Orvydaite 口座
    (販売決済を代行する一般社団法人アスリートエールは、社団員は現預金に触れる事ができず、
    全財産の管理を外部公認会計士(染原公認会計士事務所)に委託して、公正を追求しています。
    追悼・支援金は、外部公認会計士の監査・管理の元で、上述口座に直接振込を行います。)
・証明法=追悼・支援金の送金票(銀行振込票)を当サイトに後日掲載し、公正な送金を公開します。
    (公開時期=第5次受付分のカード決済会社の決済終了後)

追悼メッセージ

レミーガ追悼委員会(Japan)/リバーサルジム武蔵小杉・所プラス会長/所英男

レミーガ追悼委員会(Japan)/リバーサルジム横浜・グランドスラム代表/勝村周一朗

RINGS代表

魔裟斗

【魔裟斗】

レミギウス選手、お悔やみ申し上げます。
まだ34歳という若さで3人のお子様がいて、
奥様のお腹に4人目の子がいらっしゃると御聞きしました。
さぞかし無念な思いであろうと思います。

レミギウス選手とは、
2006年のK-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメントの1回戦で対戦しました。
あの時の試合開始のゴングが鳴ってからのスピードは、今でも鮮明に覚えております。

日本の格闘技もまた、徐々に盛り上がりを見せてきましたので、
また貴方の試合を見せて頂きたかったので、とても残念でなりません。
心より御冥福をお祈りしております。

K-1 WORLD MAX 2003・2008 世界王者
魔裟斗

賛同者

所英男

reversal武蔵小杉
所プラス・会長
所英男

勝村周一朗

reversal横浜
グランドスラム・代表
勝村周一朗

磯毅寛

㈱イサミ(reversal)
代表取締役社長
磯毅寛

堀江ガンツ

プロレス・格闘技ライター
堀江ガンツ

今成正和

総合格闘技
今成正和選手
(Team ROKEN)

太田裕之

総合格闘技
太田裕之
(OFC)

ハルク大城

総合格闘技
ハルク大城
(VOS gym)

松田干城

総合格闘技
松田干城
(Team Sityodtong)

小野卓弥

おの整骨院・院長
StrongFirstインストラクター
小野卓弥

保高幸子

フリーカメラマン
保高幸子

清水清隆

総合格闘技
清水清隆
(TRIBE TOKYO MMA)

小谷直之

総合格闘技
小谷直之
(ロデオスタイル)

稲津航

総合格闘技
稲津航
(フリー)

佐藤嘉洋

名古屋JKF
マネジャー
佐藤嘉洋

つのだのりこ

ムエタイ・元WMC王者
ボクシング・元OPBF王者
つのだのりこ

萩原一貴

総合格闘技
萩原一貴
(所プラス)

梅田和哉

所プラス
インストラクター
梅田和哉

山内慎人

所プラス
インストラクター
山内慎人

今成浩司

所プラス
インストラクター
今成浩司

平山学

所プラス
インストラクター
平山学

大石真丈

総合格闘技
第二代修斗世界フェザー級王者
大石真丈

平直行

ストライプル代表
サムライメソッドやわらぎ代表
平直行

追悼コラム

「殺戮の微熱青年!!」<堀江ガンツ>

かつて、金曜夜8時にお茶の間を熱狂の渦に巻き込んだ番組『ワールドプロレスリング』の中で、実況の古舘伊知郎アナウンサーは、若き日の高田延彦をこう表現していたが、レミギウス・モリカビュチスこそ、このキャッチフレーズがぴったりのファイターだった。

まだ、幼さすら残る端正な顔立ちに似合わぬ、恐ろしいほど強烈な打撃の数々。他の選手のパンチやキックとはスピードが違う、当たった時の音が違う。

続きを読む

ヒザ蹴りなどは、対戦した所英男が「身体に穴が空いたかと思った」というほどの“殺傷能力”。寝技の対処には難があったものの、そこも含めて、当時K-1から総合格闘技に転向し猛威を振るっていたミルコ・クロコップを彷彿とさせ、まさに“小さなミルコ”だった。

レミーガのそんな闘いぶりは、多くの格闘技ファンに、軽量級の魅力を気づかせてくれるものだった。レミーガの初来日当時(2002年末)、日本ではまだPRIDE武士道もHERO’Sも始まっておらず、軽量級ファイターにとっての大舞台がまだない時代。修斗などを熱心に観ていたファン以外にとって総合格闘技は、体重無差別で最強を競うもので、どうしても迫力で劣る軽量級は注目度が低かった。

しかし、レミーガの打撃の迫力は重量級に負けないものがあり、なおかつスピードはこれまで見たことがないほどの速さ。そして、ライバルであった所英男や今成正和との、ストライカーvsグラップラーのスリリングな闘いは、主にリングスから流れてきたファンを大いに唸らせた。

個人的にこの頃のレミーガと所英男の試合や、今成正和&矢野卓見との試合は、UWFの面白さを知らしめたスーパー・タイガーvs藤原喜明、リングスの面白さを知らしめたディック・フライvsヴォルク・ハン、PRIDEヘビー級の面白さを知らしめたミルコ・クロコップvsアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラなどと並び、軽量級MMAの面白さを知らしめた、それほどの試合内容であったと思う。

またレミーガで特筆すべき点は、当時の軽量級ファイターの中でもとくに身体が小さかったことだろう。公称168cmの身長は、実際は160cm台前半であったと思われる。そして体重は減量なしで約65kg。おそらく、現在であればフライ級(56.7kg以下)の選手だったはずだ。しかし、当時レミーガが闘っていたHERO’SやK-1 WORLD MAXの契約体重は70kg以下の現在で言うところのライト級。つまり事実上、3階級上の試合に出て、毎回真っ向勝負をしていたのだ。本当に恐れ入る。

レミーガは亡くなる前、現役復帰に向けたトレーニングを再開していたと聞く。いまならば、適正階級であの凄まじい闘いぶりが見られると思い楽しみにしていただけに残念でならない。

それでも彼が日本で活躍した約3年間、あの短い時間を全力で駆け抜けたような勇姿を忘れることはないだろう。レミーガの闘いは多くのファンの記憶に残り、また打撃のあの“音”は、今も耳の奥に残っている。

堀江ガンツ

堀江ガンツ
プロレス・格闘技ライター。『紙のプロレス(kamipro)』編集部を経て、09年からフリー。
現在は『KAMINOGE』を中心に活躍中。


「純真な格闘魂と爆発的ファイトよ永遠なれ」<長谷川亮>

 レミギウスを取材したのは2003年6月、「ZST.3」の後だった。2002年11月に行われたZST旗揚げ大会で初来日したレミギウスは、ミンダウガス・スタンコスとタッグを結成し矢野卓見・今成正和組と対戦するも、ミンダウガスとどちらも一本を奪われ敗戦。当時まだ知識のなかったアンクルホールドを掛けられ、「足から聞いたことのない音がして怖かった」と話すが、それでもタップしない気持ちの強さに対戦した矢野も舌を巻いていた。

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 初来日が黒星に終わり、もう日本へは来られないとかなり落胆してリトアニアへ帰ったと当時のZSTスタッフは述懐するが、再びチャンスを得て翌年の「ZST.2」(03年3月)に来日するとストライカーの坪井淳浩を相手に本領を発揮(ヒザで2R KO勝ち)。続いての「ZST.3」ではここでも所英男を再びヒザ蹴りでノックアウトし、ZSTレギュラーメンバーの座を確実なものとした。

 大会2日後、話を聞けることになったが、レミギウスは取材前にマクドナルドを頬張り(たしかビッグマックを食べていた)、その無邪気な様子は当時まだ20歳だったこともあり、10代であるかの幼い印象を持たせた。

 試合ではすでにアグレッシブな様を見せていたレミギウスだが、普段は非常に控え目。あまり喋らない彼を、同行したリングス・リトアニアのドナタス代表、2度の対戦経験を持ち取材に駆けつけてくれた矢野がフォローしてくれ終了となったが、取材後レミギウスは取材に持参した柔術の本をもらえないかと申し訳なさそうに言う。持って帰って勉強したいとのことだった。

“小さなミルコ”や“リトアニアの闘神”といった異名が定着したレミギウスだが、全身バネのような体から破壊力ある攻撃を繰り出す姿は、さながら“東欧のダイナマイト・キッド”。それに加え強さに対する純粋な思いが、その後のHERO'Sなど大舞台へ導いていったのかもしれない。取材では「一番得意なのはヒジ」と明かしており、MMAにおいてもヒジ打ちがスタンダードとなった現在、レミギウスのファイトが見られなくなってしまったことが悔やまれる。

「いずれ出たい」と語っていたK-1出場を叶えるのはこの取材から2年後(2005年10月)。06年4月の大会では魔裟斗戦でメインを飾るまでになったが、取材の最後で希望していたディズニーランド行きは果たすことができたのだろうか。

 その純真なる精神と爆発的なファイトよ永遠なれ。リトアニアを近しく思わせてくれたレミーガ、ありがとう。

長谷川亮

長谷川亮
ライター。『ゴング格闘技』編集部を経て05年よりフリーに。
現在は格闘技と映画を中心に活動中。


「レミーガの思い出」<高崎計三>

 2002年11月23日、ディファ有明でのZST旗揚げ戦。この日僕は(というより我々は)初めて彼の姿をこの目で見た。しかしそのときは、注目されていた矢野卓見&今成正和の「チーム・イリホリ」(もうこの名前の意味が分かる人も減っていることだろう)の相手として初来日した、何だかややこしい名前のリトアニア人2人の「片っぽ」というぐらいの認識しかなかった。

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 試合では、打撃の鋭さはほんの少しだけ垣間見せたものの、イリホリの掴みどころのないスタイルとサブミッションに翻弄され、結局は2人ともが今成に足関節を極められて敗退。正直言えば、どっちがレミーガでどっちがミンダウガスなんだっけ?という感じで、とにかく気の毒な印象しか残らなかった。
 
 しかし「気の毒な片っぽのどっちか」に過ぎなかった彼がZSTで注目され、中心人物のひとりになるのに時間はかからなかった。所英男への勝利。ZST-GPでの活躍と優勝。もう「ややこしい名前のリトアニア人」ではない。レミギウス・モリカビュチスという名前、そして「レミーガ」という愛称はZST周辺のみならず、格闘技ファン全体に少しずつ浸透していった。
 
 やがてHERO'S、K-1 WORLD MAXに闘いの場を広げたレミーガは、一気に有名になった。もともと端正で幼さも残る顔立ち、そして見る者に強烈な印象を焼き付けるアグレッシブなファイトスタイルの持ち主であり、スターになる条件は十分揃っていた。それらの大舞台は彼の適正体重からひと階級上の闘いが主流だったため、常に不利な条件を強いられてはいたが、それも問題にしない攻撃性は高く評価された。
 
「レミーガ」という愛称を聞き出すことができた初インタビューのことはメッセージ動画で述べたので割愛するが、レミーガ関連で特に印象深い出来事があと2つある。
どちらも本人直接の思い出ではないのだが。

 一つは2005年7月6日。HERO'S初参戦となったミドル級(70kg)トーナメント一回戦で、レミーガは村浜武洋をわずか74秒、左フックでKOした。
 鮮烈すぎる大舞台デビューだった。このとき、インタビュースペースにいた僕は、KO負け直後にもかかわらずコメントを出しに現れた村浜にコメントを聞くことになった。
 しかし正直、秒殺KOを食らった直後の選手に有効な質問はあまりない。
 「戦前の作戦は……」「相手の印象は……」「今後は……」。
 どれも答えてもらえるか分からないし、聞いたところで虚しいばかりだ。
 しかし質問が出ないことに苛立ちすら見せている村浜に、何か聞かねばならない。
 とっさに僕は「フィニッシュのパンチは、見えませんでしたか」と問うていた。
 
「見えてたらよけてますがな!」
 
 村浜の怒りの返答に、僕は「そうですよね……」と言うしかなかった。
 いや、本当に申し訳ない、と思いながら。ただそう思いながらもずっと、レミーガの衝撃デビューに心躍らせていたのもまた事実だった。
 
 そしてもう一つは翌2006年2月4日、K-1 MAXでの我龍真吾戦。
 これも70kg契約の試合だったが、たまたま試合当日に会った関係者から、「我龍は前日計量をパスした後、食いまくって13kgも体重を戻したらしいですよ」という言葉を聞いたのだ。
 
 前述のようにレミーガは本来、もっと軽い階級の選手。ただでさえハンデを背負って闘っているのに、リング上での相手は80kg以上もあるという。まともにぶつかり合ったらどうなってしまうのか? そんな心配が頭をよぎった。
 
 しかし、それは全くの杞憂に終わった。レミーガはゴング直後の飛びヒザを見事にヒットさせ、わずか8秒で我龍をマットに這わせたのだ。もしかしたら我龍が食べ過ぎて動きにくくなっていたのもあるのかもしれないが、小よく大を制す、この痛快さがレミーガの真骨頂だった。
 
 やがて来日が遠のき、一時は大ケガによって引退という噂も流れていたが、復帰に向けてトレーニングを再開していると知った矢先の、突然の訃報。本当に、驚くしかなかった。
 
 と同時に、ここまでつらつらと書いたような思い出が、次々に蘇ってきた。そして初めてインタビューした時の、シャイな表情。その時点では明らかに日本慣れも取材慣れもしていなくて、カメラに向けて笑顔を作るのもままならなかったのを、よく覚えている。
 
 また彼が闘う姿を見たかった。いや、ファイターとしてでなくても、またいつか、日本を訪れてもらいたかった。そのときはもっと和んだ笑顔を見せてもらえただろうか。どうか、安らかにお眠りください。

高崎計三

高崎計三
ライター&編集。ベースボール・マガジン社を経て、有限会社ソリタリオ代表。
『格闘技通信』『kamipro』などを皮切りに多方面で活動中。


追悼・支援金の送金の御報告

本projectは 7月31日に受付を終了し、最終決済を終えて、
2017年10月3日、無事、リトアニアのライモンダ個人口座に着金した事を確認致しました。
多くの方々の御協力に深く感謝致します、有難うございました。
レミーガも必ず喜んで頂けているはずです。
(近日、ライモンダからメッセージが届く予定ですので、追って御報告致します)

※最終決済額

【+】 ・Tシャツ234枚×支援金¥2700=¥63万1800
    ・タオル88枚×支援金¥1100=9万6800
    ・別途寄付金=¥2万5000
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    合計=¥75万3600

【-】 ・通訳(2回分)=¥4万
    ・誓約書作成費(行政書士 )=¥2万1600
    ・海外送金手数料=¥9500
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    合計=¥7万1100

【±】 よって、ライモンダ口座への送金額は、
    ¥75万3600-¥7万1100=¥68万2500

※送金依頼書

※ライモンダ銀行口座・受取

      


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